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地遊村

自然体と共同体

地(人)が生きる環境、価値観に触れられる環境、実学がおもしろい環境

自然体

餅は、餅屋

共同体が生み出す環境

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Newsflash

いいお天気..年が明けて..この短期間に。これほど身動きの取れない..なんてことは、お初の出来事でした。その辺りをたどってみようか..春よ..。もうすぐそこにはいると思うのに、なかなかどうして..。そばに居るようで、居ない。居て欲しい..時は、いない。うん。でもそうでもないのか、受け入れきれていない。そこらへんに、あるそこから、始まる。始まっている。2018年2月、冬季オリンピックに響き渡る歓声に、涙。その意味は、いろいろと個々に育まれていて、その機会に感動は、無数に生まれていました。素晴らしいその意識に、その心体に、響き渡るもの..一心、メンタリティ。その矛先は、自分自身へと続き続く果てしない道その深さが、それなりの力を育むのでしょうか。囚われないどこかしらに、気に止まってはいないだろうか?止まっている..ということ。見える世界は、限られてしまい未知への好奇は、固定や意識に囚われがちに..。なぜか・恐怖か・世界観「気にしていない」「気にしている」「気になる」その彷徨いは、自然に日常。だから、こその機会に、どういきるのか。自然に、日常の波風は、止まることを知らずに永遠と吹き続けることでしょう。断ち切る一つとひとつ一つに、立ち止まり、ひとつに、歩く。その物事を清くたつわからないことは、わからない。「わかって欲しい」は、自然ではない。自然であることは、自分自身の中にその解があること「求められない」自然をもっといきようもっとある、もっとありふれた自然に- そのこころがけ
あらっ、もう2月。すごい寒気..寒いわけです。寒気を歓喜に..晴れてた空をみるように..負を即、正にしたいマイナスをすぐプラスに..日本海で出逢った先人の生き方..。おっ、と単純に「それはいい」それで、どうしたらいいのか...。そう考えればいい「ああ..↘︎」と感じたら、「おっ、↗︎」にすればいい..そう。「そうね〜、そう簡単には、言うけどねえ〜っ」と。出逢うわけで..。実は、この間が、境界線。瀬戸際ではないのかと..。そうするためのコツって、あるのだろうか。コツというコツは、あるようで無いのではないのか。それぞれだ。想像の行きつく範囲を「そう..し続ける..」ことなのではないか。挑戦し続ける。そういう気持ちを常に抱き、実行し続けてみるが、近道。楽在日々は、どこか混沌に灰色。これが自然で当たり前。だから、こう在りたいと思いをはせる。そこをはせるだけではなく、持続させて生きて行けばいい。どこかに、そうすることを諦めていないだろうか。「するということ..」をするという行為。一体どこから、できなくなってしまうのか。感情か。感情は、豊かに自由に飛び跳ねる。喜怒哀楽。なぜ、それらの起伏は生じる?感性。そういうもの。そのままを"ままに"反応してしまう。喜ばしい、憤慨、悲しい、楽しい..「豊か」だ。自由だ。そう自由に、自在にある。- 負をすばやく正にかえる
2018年の1月スタートしました。いざ、始動!というよりも自然とゆっくり..足場や感覚の動きを確かめるかのような..1月いいのか、どうなのか、いいのか?感覚に触れる力を入れようとすると力は、入らない。力む。力を入れまいとするとスッと入るときが来る..なんだこれは出逢う..感覚の矛盾それは、矛盾というべきか、思考して理解しようとするからかそれは、そういうものだと受け入れる。うん簡単となる。なんちゃない。妙な邪魔は、すぐそばに在ることに気がつく「出逢いたい」うちは、出逢えないのかもしれない「出逢える」に出逢うひとつと一つに世間に、ややこしいそうは、感じたくない。スッと腑に落ちるもの。それは、あれか?これか?それともあそこか?そんなごと-ごとでは、ない探し回らずに、在るものだ言い換えると「ことばにならない」ものなのかもしれません一瞬に生まれ、その一瞬に消える- 厳しさに出逢う真実