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地遊村

自然体と共同体

地(人)が生きる環境、価値観に触れられる環境、実学がおもしろい環境

自然体

餅は、餅屋

共同体が生み出す環境

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Newsflash

大徳寺さんなんとなくの時間に、立ち寄り出くわす先々は、ご縁にゆかりのある場所へと..。トントンとただ驚くばかり..はて、その意味は、一体なんなのでしょうか..紫野と紫草何が、どうこうあるわけではなく..ただただ..目の前に在るのは..育紫式部紫野:大徳寺信長公・千利休:総見院大友宗麟公:瑞峯院後奈良天皇:瑞峯院大友義長公:龍源院菩提寺..聞いたことある名前が点々とありすぎる..「みてみなさい..」っということで..そもそも予定していたところは見ることができずにいたので..。そりゃ、そうなるわけか。全てではないけれど、ほぼ見歩くことができた。ほんの一度で、何かがわかるわけもなく、何であったかも時間の経過と共にゆっくりと染み込んでくるものがある。言葉には言い表せない「その空気」1つ1つ。ありがたいことに、人は、指折るほど。庭と私。その庭にみる世界観は、無数に無限。わかったようで、わかることはいつになることか..w。- 紫野
ふと耳に残った音「麗(うるわ)しい時代..」ふと、感覚になかった言葉..にただ、何と無く魅かれる何か。はて、何だろうか..と辿ってみる。辞書にこうある「よく整って美しい、晴れやか」変わりゆくに、消えゆく感覚..どう言いあらわせるのかは、わからない..けれど、ソコにある感覚は、表には立つことのない美意識。この手にはつかむことのできない感どころ。祖父母が口にしていた音域でしょうか。その音は、どこから生まれてくるのか、不思議でした。なんともいえない、空気感。何かが込められている..あふれてくるもの。余韻気持ちの余白でしょうか..ソコに溢れ出す"あいらしさ"は、自然本来の姿なの..?っと、自然を眺めるかのように、あるものがあります。その時は、自然と育まれてきたものなのでしょうか。育んできたものなのでしょうか。その時代(時間)に、様々なものがあったかと問うと「何も無い」という時間があったわけで..。その空間をどうにかしたいという創造や希望..だったのかなっと。創造する、希望する..気持ちを羽ばたかせるその隙間や余白の空間は..とどこかに。それでも自然は、自然とバランスにあるところにあり続ける居場所を保ち続けるんだろうと..感じます。wこれからに..これからも..- 麗しくある
令和元年時は、止まらずに過ぎゆき..その時の節に、漂う記憶は、どのような時でしたでしょうか。それぞれ、それなりに在る気持ち。自然と湧いてくる気持ち..は、どこからやってくるのでしょうか。不思議と感じ得られるものが在るようです。自らの言葉で消えゆくのか、生きゆくのか..支えているものは、支え合う気持ち。ひとりではないところから、他から出会す自覚。この先、これからは、あるがままに、ありのままに、未知は、道にあり。その先に向かうのか、そうでないのか、自在に生き行ける時、何に進むのか。弱さ、悲しみ、怖さは、常に一体にあり止まらずに、進み抜くための意気込みというのでしょうか。とまることのない生きゆく見通しが、後押しするように感じます。足元からこの先への導線。どこかで、誰かが..というものにはない、ここで、私がというところから始まっては、終わる。それでも、その意は消えることはない。土に還る時、その土は、新たな種を育み、今を育み続けてゆくのかもしれません。そのための土壌とは、これからにどう生きゆくのか。ここに在るようです。- どう生きゆくか