info@jiuson.com

Blog

祈り(お水取り)との出逢い

2015/04/05 0 Comment

またまた、久しぶりのブログ更新。なんと1年近く経過していました。
あっという間というか、うん。実に時間の流れが早く、面白いです。
そんなこんなと書くことにしました。

2015年 お水取り 東大寺

ご縁を頂き、参加させて頂きました。
感謝しかありません。貴重な経験、体験でした。
そもそも何の行事なのか、何の為に行っているのか
これまで何が行われて来たのか。
そこには、日本の魅力に満ちあふれた可能性を感じ得ました。

お水取り
春を告げる行事。3月1日から14日まで終わる頃には、冬が明け春へと。
752年から一度も途絶えた事がない行事…752年って
え〜っと、今が2015年ということは、1263回目に参加をさせて頂いたのかな?
ありがとうございます。
松明が19時半頃から灯り、帰る人たちと本堂へ入る人たち。

「小原さん、最後迄いるの?」
「はい、もちろんです。せっかくですから…」
「ところで、何時迄?」

4:30…なっ、ん?え?

覚悟しましたね。行だ、行。「できずして、できるか。」問いました。笑

二月堂と松明

目的はなければいけないのか

あたりまえ…?笑
今現在、生きている時間は、自分自身の時間の中
うん、無くたっていい時もあっていい
どこか、ここの土壌にある「正解でなければいけない空気」いったいどこから生まれてくるのか?
個々の心理か。生活か。
日常かなっ。笑
松明を眺め、人びとがカメラを手に、松明を眺める。
個々にある想いや希望もきっとある
松明の時間を過ぎると本堂にあがることができる。
そのもう一つ柵(部屋)の中に入る事ができるのは、男性のみ。
女人禁制、時代がつくりだしたもの。なぜか…いつか聞いてみたいと思います。笑
友は、体調もあり先に帰りました。自分は、独りに…
この機会に..何を想ったのか、ただただ最後まで見届けたい。
どのような生き方が、そこにあるのか。
他は、何もありませんでした。
何か、ある。何かが、どこかに。どこに、向かおうとしているのか。何か、存在するのか。

東大寺二月堂

行を終えて

いったい何人のひとが居たのでしょうか。
100人?
もっと居たのかな?
4:30までいったい何を
隅々まで見尽くしたつもりです。
記憶にあるのは、清々しさ、笑み、あたたかい気持ち。疲れなんてありませんでした。
寒さ?そりゃ〜もう、なんとも言えません。寒いですよ。
準備なんて、防寒着程度です。笑
祈りを捧げる人たちは、常に声を高々と全身を動かし、
リズムを奏で、互いの空気を感じ祈りを捧げていました。
印象的だったのは、柵の中に入れなかった女性の皆さんの姿勢です。
顔なんて暗いのでわかりません。ただただ、視線が強くそこにありました。
人間がその場に、各々の目的を持ち、気持ちを動きに表していました。
我が走る方は、周囲は見えず、周囲に壁を作り出します。
群がるといいましょうか。
なんとも人間の「欲」が、なんとも不自然に生き急ぎ、
調和のバランスを崩しているように
感じてしまいました。行は、万人に。水も。
忍ぶ、和む、分かち合う、言い換えると「大地を受け入れる心」でしょうか。
大地とは、個々の目の前に起きている日々・事柄。
受け入れられているのだろうか。聞いているのだろうか。
我が走ってはいないだろうか。

自分自身の心を体感する時間

様々な生き方がある

日々振り返っています。あの時間は、いったい…
自分自身に何をもたらし、何に至っているのか。
そこで自分自身は、どう生きるのか。どう大地に応えるのか。
今回このような貴重な機会に巡り合えた事、とても幸せに感じています。
周囲の皆様のおかげです。ありがとうございました。

日本って、面白く、勇ましい姿勢がまだまだたくさんありそうです。
温故知新
見落とさないよう日々を重ねよう。うん。
感謝

About jiuson










Twitter update